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2012年10月 6日 (土)

流鏑馬@材木座海岸

材木座海岸で流鏑馬が行われるということを昨日配達された「タウンニュース」で知りました。
市立第一中学校の同窓会「清潮会」、「日本古式弓馬術協会武田流鎌倉派」、「鎌倉歩け歩け協会」の3団体による共催です。
毎年行われている逗子海岸の流鏑馬は行ったことがないので、浜辺の流鏑馬はどういうものか出かけてみることに…。

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流鏑馬は13時からなので、10分ほど前に補陀落寺(ふだらくじ)の近くへ行ってみると、 ちょうど護摩法要を終えた一行が、海へと行進しているところでした

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先に海で待機していたお馬さんに颯爽と騎乗

砂浜に造成された300mの馬場周辺は既に埋まっていたので、ゴール付近で待ち構えます

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的の準備

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騎射の開始です

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ゴール直後のお馬さんの鼻息は荒かった!

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白馬も凛々しく

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スタート地点へ戻ります

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今度は上の遊歩道から
こちらのアングルの方が、海辺でやっているのが分かりますね

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的中!! 画面左端の的が割れて飛び散っているのがお分かりでしょうか?

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まだまだ続くようでしたが、14時少し前に失礼しました

八幡宮とは一味違って、開放感のある浜辺の流鏑馬も、とても素晴らしいものでした。

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コメント

浜でも流鏑馬がおこなわれているのですか。これは知りませんでした。
八幡さまの境内と違って、開放感がいっぱいで、いいですね。
ただ、お馬さんには、砂浜を走るのは、ちょっと負担が大きいかな。
もっとも、頼朝も、八幡さまで奉納される流鏑馬の訓練を由比ヶ浜でおこなわせていますから、このくらいでへばってしまっては困りますね。
白馬のかたは、見事に命中していますが、だいぶ前に射手のかたから、的にあてる技術が昔とくらべると落ちてきたと聞いたことがあります。
今回の流鏑馬は、どうでしたか。

イリヤさん、おはようございます。

材木座海岸での流鏑馬!迫力ありそうですね。
八幡宮の流鏑馬は知っていましたが、海岸での流鏑馬も見たかったです。
「武家の都」鎌倉ならではの催しですね。

ところで、転居にともない新たなブログを開設しました。
「庄内海坂・四季の写真館」で検索していただくとヒットするかと思います。
もうひとつ、鉄道写真専門の姉妹サイトがあるのですが、
そちらには江ノ電のコーナーも置いてあります。
「四季の江ノ電・・・」で掲載した写真のほかにも写真を置いています。
こちらはストック分から追々追加する予定です。

来週からは山形県民となりますが、こちらのサイトにはまたお邪魔しますので、
よろしくお願いします。(HNも変わっています。)

イリヤさん、今日は。
材木座の海岸で流鏑馬とは、趣も違い勇壮ですねー。
砂浜はウマも駆け難いでしょう。
日頃可成り訓練、リハーサルもしているのでしょうか? 
この暑さの中、騎乗の武士も難行でしたね。

こんにちは、イリヤさん。

実は、私もこの流鏑馬法要を見に行っていました。
場所は、三の的と馬場下を行ったり来たりしていました。

イリヤさんの写真を拝見すると、恐ろしく近いところをニアミスしていたと思います。

縦フレームの射手が矢を放つ瞬間、馬の躍動感が伝わって来るのが好きです。
その下のお馬さんの写真も、鼻孔を大きく広げ荒々しくしている所が、
何とも勇ましく可愛いですね。

まこべえさん、こんばんは。
いつもご覧下さってありがとうございます♪

逗子海岸で、毎年流鏑馬を行っているのは知っていたのですが、
材木座海岸と聞いて駆け付けました。
浜辺で見たのは初めてでしたが、とても勇壮で素晴らしかったです。
八幡宮ですと観客数も限られてしまいますから、その点も良かったです。

私も砂浜を走るのはお馬さんにとってどうかしらと思いましたが、
波打ち際ですのでそれ程負担が無いように見えましたが…。
鎌倉時代の馬は、もっとガッシリしていたのでしょうか?

的の周囲は一杯で近付けず、命中していたかどうか見えませんでしたが、
他の方のお話では、命中率があまり高くなかったようでしたconfident

湘南タンコロさん、こんばんは。
いつもご覧下さってありがとうございます♪

海辺の流鏑馬は私も初体験でしたが、とても迫力があってよかったですよ。
お馬さん達は、広々とした波打ち際をもっと遠くまで走りたそうで、
射手さんがブレーキを掛けるのが大変そうでした。

新ブログのご連絡ありがとうございました。
「四季の江ノ電写真館」の最終回は、ジーンとしてしまいました。
でもこれからは、また新たな形で再出発されると思うと、とても楽しみです。
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたしますhappy01

M.K.さん、こんばんは。
いつもご覧下さってありがとうございます♪

八幡宮での流鏑馬は何度か見たことがありますが、海岸は初めてでしたので
とても新鮮でした。
鎌倉の流鏑馬は小笠原流と武田流があるのですが、この日の武田流の方が
より実践的と言われています。
きっと日頃から色々な場面を想定しての訓練をされているのではないでしょうか?

今日は寒いくらいですが、昨日は暑かったので、伝統的な装束に身を固めた
射手さん達もさぞ大変だったと思いますsweat01

ジオンさん、こんばんは。
いつもご覧下さってありがとうございます♪

昨日は、ニアミスでしたかsign02
始まる直前に行ったため、どこで写真を撮ったらよいのか分からず
ウロウロしてしまいました。
私のカメラは一眼レフでも小さいのですが、すぐ近くに大きなレンズを構えて
凄い速度で連写されている方がいらっしゃいました。
もしかしたら、ジオンさんでしたかしら?
お顔は拝見しませんでしたが…

ジオンさんのお写真は、きっと素晴らしいでしょうね。
海に着いた途端、お馬さんを間近で見ましたが、やはりその時の穏やかな顔と
走った後の表情はまるで違うものでした。
射手さん同様、お馬さんにも本当に「お疲れ様!」と言いたいですねhappy01

イリヤさま、お疲れ様でした。
材木座海岸でも流鏑馬やっていたのですか、、、知りませんでした。
武田流の方々でしたか、今年はあちこちで拝見しております。
2.4枚目の写真、びしっと決まってますね。

的に的中すると拍手喝采が起きるので、見えて無くても当たったかどうかわかりますね。
また、木の的のはぜる音がここちよいものです。

海がバックだと開放感があって、きもちいいですね。

イリヤさん、こんばんは。

鎌倉時代の馬は、明治以降に外来の種馬によって品種改良された馬と違って、小型で、スタイルも短足胴長でしたが、気性は荒く、乗りこなすには技術が必要でした。
参考までに、以前、某放送局の番組テキストとして執筆した本の一部をコピーして、下記に掲げておきます。
少し長いですが、参考にしてください。

 福原攻めで義経が乗馬した愛馬は「大夫黒(たいふぐろ)」といい、体高は四尺六寸、およそ一三九㌢ほどだった(馬の背は前足のひづめから肩までの高さで計った)。サラブレッドの体高は一六〇㌢から一六五㌢ほどというから、二〇㌢以上も低い。しかし範頼の愛馬「月輪(つきのわ)」も四尺七寸二分(約一四三㌢)、畠山重忠の愛馬「秩父鹿毛(ちちぶかけ)」も四尺七寸八分(約一四五㌢)だったというから、この時代の馬はいずれも現在のポニー(一四七㌢以下の馬)の大きさだったことになる。鎌倉の材木座から多数発掘された鎌倉時代の軍馬も、骨の分析によると体高は一〇九㌢から一四〇㌢ほどで、多くは一二六㌢から一三六㌢に分布し、その平均は一二九・五㌢になる。これにくらべると義経や範頼の愛馬は、少し背が高く、やはり名馬だったのだろう。戦国時代の話だが、常陸の領主であった多賀谷修理亮が織田信長に四尺四寸八分(約一三五㌢)の馬を献上したところ、信長は「太く逞(たくま)しき駿馬(しゅんめ)」だとたいへん喜んだというが(信長公記)、それほど日本の馬は小柄だったのだ。現在の北海道和種・木曾馬・御崎馬といった在来馬も、大きな頭に太い胴という、短足・骨太の馬だ。体重も木曽馬は二八〇㌔ほどでサラブレッドの半分しかない。これが本来の日本の馬の姿だったのである。
 そのうえ義経の時代の騎馬武者は、五㌔前後の兜に、二五㌔前後の大鎧という大型の鎧をつけていた。その大鎧と武者の体重が馬にかかるわけだから、走る速度もかなり遅くなる。一九七九年にNHKが放送した「歴史への招待―義経騎馬軍団」では、体高一三〇㌢・体重三五〇㌔の馬に、五〇㌔の人間と、兜・鎧・鞍に相当する四五㌔の砂袋をつけ、合計九五㌔を背負わせて走らせる実験をしたところ、駆歩(かけあし)(分速約三〇〇㍍)はすぐに速歩(はやあし)(分速約一五〇㍍)に落ち、一〇分後には大きく首をふって、やっと走っている状態になってしまったという。
 中世の軍馬は日常的に訓練もしていたからもう少し踏ん張りもきいただろうが、軽い鎧もどきを着てサラブレッドに乗って走りまわる現代のドラマとは、かなり様子は違っていたのである。軍記物にも「馬に気をつがせ」「馬の足をやすめ」といった表現がみえ、突撃のたびに馬を休ませていた。このとき騎馬武者は、弓を杖がわりにして馬に乗ったまま休息をとった。
 また長く全力疾走ができないから、いつ敵に向かって馬を突入させるか、それを瞬時に判断するだけの技量が騎馬武者には求められた。とくに敵を弓手(ゆんで)(左側)にとらえたときが攻撃のチャンスだった。ただちに弓矢の有効射程距離(敵の兜や鎧を射ぬける距離)となる七、八間(約一三~一四㍍)まで近づいて、敵の内甲(兜の内側の額)を狙った。このとき強い弓矢をひけるものほど射程距離は有利に設定できた。しかし敵の弓手にはいってしまった時は、ただちに射程外へ逃げなければならない。だからこそ小回りがきき、俊足な名馬が求められた。
 また日本の馬は去勢しなかったため、とくに発情期は気性が激しかった。佐々木高綱の愛馬(体高四尺八寸)は人でも馬でも近づくものを噛みついたことから「生唼(いけずき)」とよばれたという。ただしこの気性の荒さがあったからこそ、小柄ながらも重装備の武士をのせて敵に突撃できた。しかし気性が荒いから、馬の口をとって引く人間(口取)が必要だった。弓を射るとき、手綱を握らなくても馬を制御できたのも、騎馬武者の技量に加えて口取がいたからである。さらに騎馬武者には、歩立(かちだち)の家来が左側について主人の死角をカバーしたという。したがってNHKの番組タイトルのような「義経騎馬軍団」といった、騎馬だけの軍団は、現実には存在しなかったのである。

まこさん、こんにちは。
いつもご覧下さってありがとうございます♪

この行事があることを知ったのは前日でした。
2枚目の写真は、すぐ目の前で撮らせていただいたのですが、
4枚目はかなり遠くからですから、まぁまぁに撮れたのは数少なくて…
やはり凄いスピードですものね。
流鏑馬を何回も撮影されているまこさんに教えを乞いたかったです。

狭い八幡宮の馬場よりも、海の方が実戦に近いような気にさせて貰えました。
バックでウインドサーフィンに興じる人達とのミスマッチも、またオツなもので…wink

まこべえさん、こんにちは。
貴重な資料をありがとうございました。

それぞれの場面を想像しつつ、大変興味深く拝読しました。
颯爽とした印象のある騎馬武者も、実はポニーに乗っていたとは
何とも親近感が湧いてきました。
もっとも義経は小柄だったようですから、サラブレッド級の馬では
乗るのも大変ですね。
それにしても、当時の口取や歩立の家来達は、主のために
文字通り命を懸けていたのですね。
これからは今までとちょっと違う目線で、時代劇を観ることになりそうですconfident

材木座海岸での流鏑馬、知りませんでした。
開放的な雰囲気ですが、馬にとってはどうなんでしょうか…
4枚目、恐らくAIサーボAFで撮ったと思いますが、きっちりとピントが合っていますね。
馬のアップも、いい雰囲気です。

dekimaroさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます♪

私も材木座海岸での流鏑馬は初めて聞きました。
海岸は開放的で大勢の観客が見られて、人間にとっては良いですが、
果たしてお馬さんにとってはどうか分かりませんね。

4枚目は、おっしゃる通りAIサーボAFで撮りましたが、
横に撮ったものをトリミングしました。
今使っているカメラ用の望遠レンズは、250mmまでの物しかなく
的からかなり離れた場所で撮ったため、実際は大分小さくなってしまったもので…。
カメラの性能が良いのですね。
馬のアップは、この日のベストショットかもしれませんcoldsweats01

おはようございます、イリヤさん♪

海辺の流鏑馬、楽しませていただきありがとうございます。
鎌倉らしさがあって、とってもステキ!
写真もすばらしいですね!

今春、八幡宮の流鏑馬を見て
すっかり刺激?を受け、本気で射手になりたい。。。と思った私です^^;;

ローズ☆リラさん、こんにちは。
コメントありがとうございます♪

海辺の流鏑馬は初めての体験でしたが感激しました。
実は、この翌日も流鏑馬を拝観する予定でした。
八幡宮の「槐の会」に入会したので、ご案内を戴いていたのです。
ところが当日は生憎の雨模様、どうしようか散々迷った末、結局見送ってしまいましたgawk

射手になりたいとは、さすがローズ☆リラさん!!
武田流には、女性もいらっしゃいますものね。
運動神経の鈍い私には、到底思いもよらないことですが…horse

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