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今日の最後は円覚寺です。
仏殿前では、幼稚園児たちが運動会の練習をしていました。
今週末にでも本番があるのでしょうか?
宝戒寺の後、浄光明寺へ。
こちらでも満開のハギが出迎えてくれました。
でも、いつも静かな境内が大勢の人達で埋まっています。
それぞれ十数名のグループが何組か、説明する人の話しに熱心に耳を傾けていました。
客殿前もきれいに咲いていましたが、人が一杯で撮影していられる雰囲気ではなく、そそくさと浄光明寺を後に…。
この後、海蔵寺へ向かう予定でしたが、この方達もこれから海蔵寺へ行かれる様子。
暑くなってきたこともあり、今日は諦めて帰途につきました。
☆☆☆ おまけ ☆☆☆
宝戒寺から浄光明寺へ向かう途中、鶴岡八幡宮を通り抜け。
八幡宮東側の土手に咲く彼岸花は、まだ影も形もありませんでした。
ここ数日、晴れていても急ににわか雨が降る不安定なお天気が続いています。
今日もお昼頃に小雨が降りましたが、すぐに上がって、御霊神社の例大祭、鎌倉神楽、そして面掛行列が無事に執り行われました。
神奈川県の無形文化財に指定されている面掛行列は、最近とても人気があって、当日は狭い通りが人で埋め尽くされるほどです。
9月18日は、御霊神社の祭神である「鎌倉権五郎景政(ごんごろうかげまさ)公」の命日。
地元では、「御霊神社」を「権五郎神社」とか「権五郎様」と親しみを込めて呼んでいます。
今年も例大祭と鎌倉神楽とも呼ばれる湯立神楽(ゆだてかぐら)はパスして、14時30分頃スタートする面掛行列を観るため、星の井通りへ行ってみました。
賑やかなお囃子が先導
子供から大人まで何人もの人達が入れ替わりながら笛や太鼓を鳴らします
行列は、御霊神社から「力餅家」の角を曲がって、虚空蔵堂の辺りで折り返し、「星の井通り」の信号でまたUターン、神社へ戻ります
行ったり来たりするので、写真も右向きや左向きになり、お見苦しいですが…
異形(いぎょう)、鼻長、烏天狗、翁、火吹男(ひょっとこ)、福禄寿、おかめ(はらみっと はらみ女)、女(産婆)
それぞれのお面の名は、昨年の記事をご参照ください。
お面を付けての行列は、さぞ暑いでしょうね。
この祭りの起源は、源頼朝公の寵愛を受けた村娘が身ごもり、年に一度村人の無礼講を許したのが始まりという伝説があり、「はらみっと」とも呼ばれています。
また、これらのお面は舞楽や田楽の流れをくむもので、鶴岡八幡宮の神幸祭の行列に使われていたのが、明治になってここに移ったともいわれています。
虚空蔵堂辺りでUターン
台車に乗っているとはいえ狭い道路で大変そうです
今日は長谷の鎮守、甘縄神明宮のお祭りでした。
一番盛り上がる御神輿のお渡りは、お宮を出発するのが正午頃、戻るのが18時頃と半日かけて町内を巡ります。
昼間は暑いので、夕方、長谷通りまで行ってみました。
16:30頃、大仏方面から長谷寺方面へと向かっている途中です
もう1基の御神輿は車に乗って先導していました
長谷駅前で、ちょうど江ノ電が通過中
御神輿一行が坂ノ下で休憩している間、海辺へ下りてみました
海水浴場は8月末で閉鎖されたので、散歩の人が多いようです
賑やかな掛け声と共に海岸線を行く御神輿
この後、狭い路地に入り、長谷大通りへと抜けます
甘縄神明宮入口
例年この辺りで、2基の御神輿がもみ合うのですが、今年は省エネ?1基だけです
18:00頃、ようやくお宮の境内へ戻りましたが、まだまだ担ぎ足りない様子…
いつまでも続く威勢の良い掛け声を聞きながら、家路につきました
今日は運が良ければ、稲村ケ崎からダイヤモンド富士を望める日。
春のダイヤモンド富士は、初挑戦にしてその運をつかむ事が出来ました。
秋も楽しみにしていたのですが、今日は朝から薄雲がかかり空気が澄んでいなかったので、諦めモード全開。
でも、一縷の望みを持って出掛けました。
本来ならダイヤモンドが輝く時刻(17:45)ですが、富士山はご機嫌斜めのようで
「※ボート遭難の碑※」
明治43年1月23日、七里ヶ浜の沖合いでボート「箱根号」に乗った逗子開成中学校の生徒ら12人が遭難。
彼らの遺体は、友は友をかばい合い、兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で発見された。
この像は、遭難した徳田兄弟をモデルに、その美しく尊い人間愛の精神を賞賛するために昭和39年に建てられたもの。
「真白き富士の嶺 緑の江ノ島」の歌詞で始まる「七里ヶ浜の哀歌」は、この事故から生まれた。
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